サイボーグ技術における脳インターフェイスの限界

サイボーグ技術の開発に伴って脳インターフェイスという技術に大きな期待が集まっています。その期待の大部分は従来の人間の各器官を媒体させずに脳と脳を直接つなげる情報伝達が全く新しいコミュニケーションを実現するのではないかというところにあるのです。
ですが、脳を直接電極と接続しているといってもその接続者の思考そのものを相手の接続者にそのまま持続的に送受信する形での情報伝達を行なうことは不可能です。これは虚偽の情報を流せないなどの問題と同根ですが、結果的にそれ以上の大きな欠陥になりえる事実です。
人間の思考というものは他人に見えないということを前提に行なわれています。ですからそもそも他人に公開するようなものでもなく、公開する為の準備これは「言葉を選ぶ」等の形でむしろ相手に理解し易くするためのものですからこれが行なわれないせいで逆に従来のコミュニケーションよりも困難かつ相互に理解不能なものになるでしょう。
それを双方向に接続するコミュニケーションというものはむしろお互いにとって性行為に近いという意味で自分をさらけ出すものになるんじゃないでしょうか。
ですから脳インターフェイスによる情報伝達は結局、いくつもの防壁、ファイヤーウォールといくつかの手順を踏んだものになります。それは人間に新しい情報を媒体する器官が出来ることしか意味しないので、つまりそれは従来の体の情報を媒体する各器官とたいして違いのないものにしかならないのです。


その他のサイボーグ技術についても類似の理由で私はさほど期待していません。結局サイボーグ技術は従来の科学と人間の延長線上でしかありませんし、真の意味で革命的なものではないからです。サイボーグ技術もまた外部の相対的な変化にはすぐに順応し慣れてしまう人々にとってこれまでの科学技術と同様に人間自体の根本を変える事は出来ないのではないでしょうか。
その意味で私は人間のサイボーグ化に賛成も反対もしないのです。