不快ではあるが悪ではないもの。むしろ良いもの。

冬を真っ盛りというのかは知らないが、言うのなら冬真っ盛りだ。
北国に住んでいるのでひどく寒い。しかも電気代節約のためにエアコンはあまりつけたくないので俺は寒い部屋で炬燵にひっついてキーボードを叩いている。他に暖房器具はない。
寒い記憶と言えば剣道の寒稽古がある。あれはあり得ないくらい寒いがそれ以上に足が冷たかった。運動していれば体はそのうち温まってくるんだけど、足は常に凍てつくほど寒い。「凍てつくほど」が慣用句である意味がないほどだ。
しかし不思議なことに冬に寒稽古をしていた頃は足の指に霜焼けができたことがなかった。していない年は毎年のようになっていたのに。


進化論的に考えて人間が不快に思うものは、生物進化の上でプラスに働かないと考えるのが普通だ。種が生き残ることを善とするならそれは悪だといえる。しかしながら全くそうではない場合もありうる。
例えば冷たさだ。正月の寒稽古は非常に不快だったが、逆に霜焼けはなくなったし風邪にもなりにくかった気がする。たぶんある種の刺激が生理的に有効だということだろう。
刺激に対して不快感を感じたということは遺伝子がその刺激を避けるようにと教えているということだと考えると、何にも不快感のない状態が一番いいようだ。しかしながら、われわれの先祖がずーっと不快感を受けながら生き延びてきたせいなのか、人間の体には不快が必要だ。ある種の刺激はそれが生死に直結するものだったせいで生理反応が過剰になっていたりしやすい。なのでこれぐらいなら遺伝子は脳内麻薬出すレセプタの方を刺激した方がいいんじゃないかという場合もある。
たとえば空腹だ。
ある程度の空腹は快感になったほうが、糖尿病で死ぬ人は減るだろう。(とはいえ今も餓死する人は大勢いるのだけど)


本人にとって不快な刺激であっても、それがプラスに働く場合があるということ。
まあ「良薬は口に苦し」で一言で言えるのだが。