貧乏人の経済学 ~リアルに想像できる貧困

2019年にノーベル経済学賞を受賞した研究者の一般人にも読める書籍が出ているので読んだ。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13229.php

 

そもそも貧困とは何だろうか

貧困とは、人間の能力が十分に発揮されないこととそのための将来の展望が無いことである。

 

例えば貧困は食事のカロリーが足りないことではない。本書ではその証拠として、貧困世帯に主食の補助金を出しても線形に世帯のカロリーは増えないことが示される。

病気などを避けるためのものがないことそのものでもない。蚊帳を購入して使用したら将来の世帯収入が15%増えることがわかっているのに、蚊帳を無料で配布しても、次の世代の蚊帳の使用率は数%しか増加しないことがわかっている。

 

例えば、貧乏人は主食の値段が補助金によって下がるとそれによって余ったお金を、主食を増やすのに使うのではなく、もっと高価な食事に使用する。

貧乏な人が食料を選ぶときに(カロリーごとの)値段の安さや栄養価の高さで食事を選ばないのは、栄養価の高い食事を取ると将来の平均賃金があがることが、論理的には正しいとしても、味の美味しい食事の方が取りたいからだ。

これは自分に置き換えてみれば、日本でも誰でも理解できる。

仕事でヘトヘトになった月末の給料日に、わざわざ健康食品のレストランに行く人はあまりいない。ちょっと美味しい、そして尿酸値が上がりそうな、レストランや旨い酒を飲みたい人は多い。

金曜の夜に街に出てみれば、ビタミンやミネラルが豊富な食事にお金をかける人は日本でもそれほど多数派ではないことがわかる。

 

病気の問題については、こういう問にしてみるとわかりやすい。

厚生労働省によれば

身体活動量が多い者や、運動をよく行っている者は、総死亡、虚血性心疾患、高血圧、糖尿病、肥満、骨粗鬆症、結腸がんなどの罹患率や死亡率が低いこと、また、身体活動や運動が、メンタルヘルスや生活の質の改善に効果をもたらすことが認められている。更に高齢者においても歩行など日常生活における身体活動が、寝たきりや死亡を減少させる効果のあることが示されている

https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/kenko21_11/b2.html

 だが一方で高所得者層も含めて世界の4分の一の成人が運動不足である。

世界で成人の4人に1人が運動不足による疾患リスクに直面しているとみられることが、世界保健機関(WHO)の研究チームの調査で明らかになった。14億人を超える成人が座りがちな生活による運動不足が原因で心疾患や糖尿病、認知症、一部のがんを発症しやすい状態にあるという。詳細は「The Lancet Global Health」9月4日オンライン版に掲載された。

https://www.carenet.com/news/general/hdn/46720

 

なぜ、運動が健康に良くて将来の病気のリスクも下がるしメンタルにもいいのに皆やっていないのか?

それには、なぜ貧乏な人が安価で効果があるのに蚊帳や腹下し予防用の塩素剤を使用しないのかとおなじ簡単な答えがある。

めんどくさいからだ。

実際は、「他の人もやってない」とか「外が寒い」とか「ほんとに健康にいいのかわからない」とか「疲れる」とかいろいろな言い訳に周りをデコレーションさせてグダグダ言っているのが人間と言うものだが、実態はただめんどくさいだけだ。

これだと見も蓋もないのでもうちょっとそれっぽくいうと将来のことを見越していま頑張るのは人間にとって非常に精神的ハードルが高いのだ。

ここまで、貧乏な人、貧乏人と、まるで他人事のように書いてきたが結局なかにいるのはおれらと同じ人間である。

 

このめんどくささをなんとかして、自分のために行動するにはまず正しい情報が必要だ。

そもそも何を行えば将来の自分の利益になるか情報がないと行動はできない。一方で「運動をすれば健康にいい」という情報があってもそれと同時に「運動が健康に良いというのは、ランニングシューズ業界の陰謀だ」などと嘘情報が溢れていたら人は、めんどくさいことをしたがらない。

次にやれることは「めんどくささのハードルを限りなく下げる」ことだ。運動の例で言えば、家にランニングマシンを設置するとか、運動をゲームにして遊びとしてやる、とかになる。貧困対策で言えば、下水道の整備をすると塩素剤をわざわざ飲水に投入する必要がなくなるので、めんどくささはほぼゼロになる。これにはインフラの投資が必要だ。

最後に最も重要なのが将来の展望つまり将来はもっと生活がよくなると言う希望である。

将来どうせうまくいかないとか、借金漬けの生活からどうせ抜け出せないとか、どうせいい大学や職場は手に入らないから勉強は無駄だとか。

そういう絶望ほどでもないが反希望とでもいうべき精神状態の人が将来のためにこつこつ何かを行うのは、困難というよりもはや不可能といってもいい。

しかも、未来の結果を待たなくても、周りからどうせだめだと言われたり自分でそう思っている人間は、実際のところ今現在のパフォーマンスすら下がるのである

「将来の展望がなく希望のないさま」、を貧困と言ってはどうか

もはや将来の展望がなく希望がなければそれはある種の貧困状態といってもいいのではないだろうか。

貧困の正体とはある典型的な社会状態の中の個人の精神状態なのではないだろうか。

それならば金持ちで将来の展望がない人はどうなんだといわれるかもしれないが、それはお金ー【貨幣】自体が、将来使用できるという信用の化身である構造を見逃しているからである。

実際のところ貧乏人はお金がないから将来に希望がもないというのは正確な表現ではなくて、貨幣の信用価値それ自体が、ある種の将来の展望そのものなのである。

書籍

貧乏人の経済学 もう一度貧困問題を根っこから考える

https://www.msz.co.jp/book/detail/07651.html

 

リンク先から序章と終章を読むことが可能。

このブログに書かれたようなことはあんまり書いていないのだがぜひ読んでいただきたいです。現場から実証研究で貧困に切り込む素晴らしい本でした。

 

貨幣については負債論がおすすめです。今年最も読んでよかった本。

https://www.amazon.co.jp/dp/475310334X/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_G3lcEbN1XBAPE