最近、科学の思考方法をそのまま社会学に適応する事に違和感を感じない、老人の「塾を廃止したらいい」という意見が話題になっているらしい。
 実際のところは現実問題としては馬鹿げた話なのだろうが、それとは違う点で私には塾というものに対して前から一つ大きな疑問を持っている。それはつまり、そもそも塾に行くか行かないかで勉強に差が出る、というのは本当の話なのだろうか?という疑問である。納豆を食べてダイエットする話と果たしてどれ程違うのか。
 確かに塾が学校の勉強についていけない子どもをフォローするのに役に立っているという事は間違いが無いと思われる。また学校の教師と生徒の相性が悪いとか、指導力ある指導者に教えられた方が力がつくとか言う意見もあるだろう。しかし私は受験を含めた勉強において、結果を決める大きな要素は指導者でも、指導者との相性でもない、もっとおおきな意味での環境ではないという意味で塾に行った方が勉強が出来る様になる、という意見には反対である。
 私は学生時代、塾には全く行っていないが、一応難関と言われる国立大学の受験の成功者である。しかし自分の話は置いておこう。私が学生時代に気付いた事が一つある。勉強が周りから*1明らかに秀でていると分かる人、偏差値60に届く辺りの人、の話を聞いてみると意外と現時点で塾や予備校に行っていない人が多いという事である。彼らはでは何故出来るのかというと、通信講座や掘削指導なども含めて、「自分で勉強している」のである。またこんな話を聞いたことがある。ある人が夏休み前に、模試で志望校のA判定をもらってその後ウン万円も掛けて予備校の講習を予定を一杯にして受けまくった。しかし、受験を前にして偏差値は下がる一方で受験の結果は散々だった。詳しく聞いてみると問題は、予備校の講義を受けると、実際に力になった以上に「勉強した気になって仕舞い」講義を本当に力にするための努力を、奢りもあって、怠ってしまったのだという。
 結局のところ勉強が出来るか出来ないか、受験に成功するかしないかは本人の問題なのである。
 日本人だけかどうかは知らないが、日本人には封建的な集団意識が根強く、皆に合わせようとしたり、皆と違う行動を取る人を押えようとする傾向がある。これは塾の場合でも同じで、親や子は「皆が塾に行っているから遅れてはいけない」と安易に塾に流れる傾向がある。これは実際に行かないと困るからではなく、周りに合わせているだけだという面が大きいのである。しかしこのような考え方というのは根本的に勉学と逆行するのではないか。なぜなら勉強は周りより秀でようとすればするほど力がつくものだからである。
 私の塾に行かなかった友人が言っていたのは、「俺は塾に行っていないから、もうウン十万円も言ったやつらより得をしている。これでやつらよりいい大学に行けば塾に言っているやつらを見下せるから嬉しい。」という事であった。まあどうかと思うけど、勉学の力をつけるために必要なのは、まさにこの精神ではないか。彼は学校きっての秀才だった。
 結局塾に行くかいかないかはたいした問題ではないのである。勿論問題は才能でもない、大事なのは「性格」と実際に何をしたかである。
 つまり問題は塾に行っている行っていない、を言い訳にしてしまうか、しないか、であって、塾に行っているかいっていないかではないという事なの。

*1:学校のレベルによるだろうが