アニメと現実をごっちゃにする人たち。その1

大方の予想通り半分釣りタイトル、ですが半分本気です。

というのも、以下のトゥギャザーとそれを元に書かれた記事
「アニオタ保守本流「けいおん!全員女子大進学問題をdisってみた」
けいおん!という病。”全員女子大進学問題”を考える。

をたたき台にして話を進めようかと思ったのですが、あんまりたたき台としては多少お粗末すぎるような気がしてきたのです。
タイトルからして釣りっぽい記事ですが、問題点はいくつでも上げられます。

  ―「けいおん!!」の最終回に違和感を感じる。これは登場人物の明確な離別が描かれていないからではないか・・・・・・
 ここまではいいと思います。ですがこの書き手にはその問題提起につづいて、分析を与える力自体は無かったと言うほか有りません。
それ以下の文章は正直決めつけと思い込みによる批判しか書かれていません。


曰く「離別の先には成長が待っている(から青春作品には離別が描かれる)」

曰く「現実は辛く、現実は厳しく、現実は理不尽である。」

曰く「かつて想像力とは、現実に対抗することを前提に作られていた。」


挙げ句の果てには

「同じ女子大に進学しなければ友情が壊れてしまうという、逆説的に彼女達4人の人間関係の薄っぺらさも描写することになってしまった。」

とかいう有りもしない描写をねつ造するに至ります。(本人は同じ女子大に進学するという展開自体がその描写だと主張するかもしれないが、それは明らかに決めつけが過ぎるだろうと。)

これらの主張は俺としてはうまく反論ができません。なぜならこれらの主張の根拠が薄弱だからです。

 さらに話を社会現象だの日本経済の未来だの日本現代社会の闇だのに持ってこられても、こちらとしては困ります。だってそれ全部あなたの妄想じゃん。
 まあとはいっても後半部分は「けいおん!!」の批判と言うよりも「けいおん!!」の批判を手がかりにした自己主張だと考えられる訳で、社会についての考えを自由に主張するのは、表現の自由の権利の認められた民主国家においてはもうどんどんやってもらった方が議論も活発になるし、ひいては世の中をよくしていく事につながるから全然良いことだし、それを主張する事自体には俺は何も文句はありません。
 でも、正直「けいおん!!」の批判としてはちょっとピンとこないわけです。
だって「けいおん!!」に日本が諸外国に打ち勝つ事を啓蒙する義務があるかと考えるとそれはもう、まったああああああああああああああああく無い。としか言いようが無いですから。
 まあ単純にアニメ1作品の話の展開から日本の未来にまで話を広げるのにはあまりにもデータが足りない、というだけの事でしょう。

 とはいっても、この記事に所々妙に説得力がある事も事実です。
 それは部分部分で
 「登場人物のほとんどが一緒に進学するのでは最終回としては締まりが悪い」
という誰もがうっすら感じる違和感だとか、
 

秋山澪の可能性を潰してしまうその選択を、本当の友達であるなら許してはなら無い筈だ」

  
 という、現代義務教育を受けてればどうしても引っかからざるを得ない部分をすくい取っているからでしょう。
 確かこれらのいくつかの違和感は作品のテーマやまた作品を受容する視聴者側の態度を浮き彫りにする点で大変重要なポイントであるのは間違い無いかと思います。
 

さて、一応の締めとしてaniotahosyuへの反論をまとめてみるとこうなります。
「あなたはアニメと現実をごっちゃにしていると思います。また、記事に書かれた社会批判が本気ならば、あなたが批判すべきは社会であってサブカルチャーでないでしょう。
けいおんを「生き甲斐」にしている人間がぬるま湯につかっているというのは、完全にあなたの思い込みで実際はけいおんのために今日の仕事をがんばろう、来週まで乗り切ろう!という厳しい現実があるとは思いませんか? けいおんが大好きな人間が現実を見ていないなんていう論評は全うに生活している視聴者としてはひどい言いがかりも甚だしい。私たちは現実に生活し、汗をかき、疲れ切った心を癒す、それが偶然「深夜アニメ」である場合もあります。誰かが萌えアニメモルヒネだというようなことを言っていましたが、戦場で兵士が使うモルヒネは恐怖のあまり動けなくなって殺され無いように、戦い続けるためのモノで有る場合もあります。
あと、誰がどう見ても明らかに後半の中野梓は主人公ですから!!!!

(付属品とか流石にねーわ、何見てたんだ一体・・・・・・)

続く。