アニメと現実をごっちゃにする人たち。その2

(その1は割とどうでも良い)


けいおん!!の終わり方における違和感。
もういいや箇条書きで!!

  1. 澪が公立の推薦蹴ってムギと同じ大学に行く。他の2人も志望大学をムギと同じ大学ということで志望大学を選ぶ。
  2. それについてさわ子黙認。
  3. 結果、最終回別れを迎えるのは中野梓だけで、何か釈然としない。


以上。

3はひとまず置いておいて
 まず、1は「高校生の進路選択」という点に置いて将来のことを考えると最良の選択とは言えない。また、2でそれをあっさり(それまで何度も進路希望調査突き返してたのに)受け取った先生の判断も最良の選択とは言えないし(先生が生徒に「そういう風な進学の選び方をしたら将来後悔する云々」的なテンプレートで説得したという場面を脳内補完しない限り)教師としてそれで良いのかよ、という感じはぬぐえない。


 でも、一方でこういうことが実際には起こらないか、というとそんな事は全然無い。友達だとか恋人と同じ進路に行きたいなんていう話はありふれている。
 で、そのまた一方、フィクションでこういうことが起こらないかというと、それも全くそんな事はない。現実以上にありふれている。(行こうとしたけど片方落ちる見たいな話の方が多いけどね)
@@@
じゃあなんで「けいおん!!」の場合は違和感があるんだろうか?
面倒なのでまた箇条書きで

  1. さわちゃんちょっとリベラルすぎるんじゃないか
  2. メンバーはどこまで深く考えて進路を選んだのか、という点で疑問が残る

要するにキャラクターにちょっと違和感がある。
1については、さわちゃんは何時もは馬鹿なことをしているけど本質的には生徒を暖かく見守っている保護者的な立場のキャラだった。特に後半はそういう演出が多かった性もあって、進路は生徒を導く立場として一番重要なとこなのにそんな簡単に認めて良いのかよという違和感は大きい。
2は、あまり深く考えずに「一緒がいい」ということだけで進路を選んだのだったらちょっとキャラとして薄っぺらい。「けいおんにはもっと深いキャラクター性があった筈なのに・・・」というのが違和感の正体じゃないか。
一方で「自分に有益そうな(自分に合った学力のところとか?)進路」と天秤にかけた上で、それでも「みんなと一緒が良い」から進路を選んだのだと考えれば、キャラの軽薄さは解消されるものの、今度は「そんなに深い考えするキャラだっけか」という違和感・・・・・・。

けいおん!!」はキャラもののアニメだから、この点に問題があると大きな瑕疵じゃないだろか。
なまじ描写がすばらしいせいもあるのか、こういうのはちょっと目立つよね!!


続く