先生が醜い理由

学校の教師が変態野郎の偏執狂の偽善者かつ独善者なのは仕方がない。それにはちゃんと理由がある。
そもそもこの地球上の人間は一人残らず精神病者と同じだといっても差支えないのであり、程度の違いはあっても心が曲がっていたり歪んでいたりする精神的な片輪者ばかりなのだ。そんな精神病者いっぱいの世界が何となくうまく回っているのは世間とか社会という、何となくなあなあでみんな納得できるように作られた枠組みというのがあって、とりあえず見た目だけでもそれにあわしときゃ、まともな人間として扱ってあげようという決まりが暗黙の上にあるからである。
そう。だからみんな一応いつもはまともな人間の皮をかぶっているんだが、それをはいだら本性は有象無象の魑魅魍魎なのである。
さて本題のなぜ先生は醜いか。
なぜなら先生は教室において、望むと望まぬにかかわらず、絶対的強者の立場に立っている。人間自分より弱い人間と接するときにこそ本性が世間体の隙間からちらりちらりと見え隠れしてしまうものだが、教師はずっとずーっとそうなのである。だから最初どんなにうまく本性を隠していたとしても毎日毎日生徒=弱者と接するうちにだんだん隠していた本性が心のベールからはみ出してくる。数年もすれば欲望むき出しの変態教師になっているという寸法。
だから仕方がないのである。教師はもとは善人だったとしてもそれこそ学校の場で上記のような危機にさらされ、教育されてしまうのだ。

もちろんこんな考え方は、あの頃にはできなかった。そしてそれでもまともないい先生たちにエールを送りたい。