「利己的行動」その方法では生きていけない。

(この文はでたらめな文法と分裂的なイメージでかかれているためおそらくとても読み辛いです。そしてとても誤解しやすく理解しにくい文章です。あいすいません)
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060729/p1


そんな話はもううんざりです。といいながらも勘違いこの上ないという危険を想像しつつ続けましょう。そんな考え方はさっさと捨てた方がいい。
あえてキャッチーに言うならば「じゃあお前ら気持ちよくなくなったらさっさと死ね。」ということですがこれはあまり正確でもありません。
こういう考え方をしようとする人の何が間違っているか端的に言うと、それはこの方法論に意味を求めようとしていることでしょう。(そしてたいてい無意味なことに気付いていない。)残念ながらそれは永遠に不可能だが、それどころか逆に行動を無意味化する力を生む。誰かが罫線を引いて区分けした世界にさらに細かい線を引き続けることで、結局灰色一色に無理つぶされたのっぺらぼうの世界に逆戻りだ。だれももう一度線を引き直さないからですが。
つまりは太古から人間が名前をつけその上に「意味」を作ってきた人間の行動に、けちをつけ「無意味だ!」と勝ち誇った様に宣言して喜びたいだけなのではないですか?
そんな声を聞いてもう私はうんざりです。「そんなことは初めから知っているし、その上であえて<意味>と<価値>を作り出すのが人間でしょう。」(第一何もかも無意味だなんていう思春期現実逃避的方向の考え方は聞き飽きました。)


「利己的行動」について考えること、
がただひたすら無意味なのは、その根本にある進化論が人間一人一人にとって全く意味がなく、つまりそれに意味がないということを看破してしまえるからでしょう。
例えば人間の腕は力を抜くと下に落ちる。つまり重力に引き寄せられて、地面からの反発力の働く胴体に対して相対的に地球の中心に向かって加速度を生じる。しかしその行動には意味がない。そういう目で見れば行動ですらない。「利己的行動」によって考えようとすれば、人間の行動は全てそれと同じです。だって進化論はただの「仕組み」だから。確かにそれはそうでしょう。しかし人は自身でそれを無意味だと言ってしまうことが出来る。

「人間の行動は何らかの利己的動機・インセンティブによって選択される」

しかし人間は表層では割と簡単に「そんなのどうでもいいよ。」といってしまえる。自己利益なんてどうでもいいし、少しばかりの快感なんていらない、進化論のやりかたに肩を貸す気もない。
そういう目で見れば人間の仕組みなんて、石を投げたら落ちてくることと同じ。そして人間は人間のくせに石を見るような目でそれを見る。
だから利己的行動で人間の行動を全て説明しても人間のとって全く何一つ有益なことはない。それ以上にそもそも意味がない。


利己的行動に全ての理由を求める人に聞いてみるべきだろう。何でそんなこと考え出したのかと、そうするとおそらく「人の行動を解明することで、人をコントロールすることが出来るような錯覚によって全能感を得、或いはただたんに支配欲を満たして、快感を得るためです、」と言うかもしれない。(こう応えなければ<利己的行動に全ての理由を求める人>とは認められない。)
じゃあ「その快感には何か意味があるのか?」と聞いたら。
「無意味だ。」と言うだろうか?


おそらく彼らは単に「科学者」なのでしょう。だとすれば私の文章は全く見当はずれもいいところということになって非常に喜ばしいですが。