なぜ最近の日本の小説は屑なのか

というわけでこういうテーマで文章書こうと企んでみたわけです。
こういう批判的なこと書こうとすると自己批判がモワモワ頭に浮かんできたり、内容がギスギスしたりして疲れて嫌なので最初は肯定的なこと書こうと思うんですが、あくまで批判ですから。結局最後に全否定することに…。


小説が悪くなっていると言う時の、ラノベ批判や「セカチュウ(なんかピカチュウみたい)」の類への批判はたいてい的外れです。
エモーショナルかどうかが文学的にいい小説かどうか関係ないのなら悪い小説かどうかとも関係ありません。
むしろ全然関係ありません。
三島由紀夫潮騒なんかどうでしょう、べたべたな恋愛物ではないですか?
源氏物語なんかもいま読んでも全然エンタメ小説ですし。


ラノベセカチュウはそういうわけで何にも悪くはありません、読者をなかそうとしてくれて結構。萌えさそうとするのも結構です。

読者批判もなんだかおかしい
いったいそのいわゆる「レベルの高い読者」とはなんでしょうかね?
ただ単に読み方の技巧が高い、深読みしたり背後にある作品を知っている、とかいうことなら、
それはだからただ単に技巧の問題でしょう、本質的には変わりません。
五目並べ囲碁ドンジャラと麻雀の違いのようなものです。


最近は違う見方が主流ですが、基本的に読者は快感だから本を読むんです、だから活字中毒*1になったりもします。
ただ単に読者の技巧が上がるのは、それまでの快楽になれて麻痺してしまった麻薬中毒者がもっと強い麻薬を求めるようなもので、もっと刺激の強いものしかいいと思えなくなったからです。
だから技巧が高かろうが結局はハルヒ*2を読んで萌えてる奴と、大江健三郎よんでしびれてるやつは快楽を求める人ということでは基本的に何も変わりません。

感性と言う言葉は要注意です。
エモーショナルに感じるのも感性ならば、普遍的な芸術を感じるのも感性だからです。
一人一人の感性を否定すべきでないし同時に普遍性を否定することもしてはいけないって言うのが妥当な所でしょう。

全ては書く側の責任です。
小説家は読者におもねっているか編集者におもねっているか自分におもねっているじゃないですか。


彼らはようするに
悪く言えば「売れればいい」と思っていて
よく言えば「読者に気に入られればいい」と思っているんです、
自分で言ってるので間違いないでしょう。
「読む人に感動を与える作品を書きたい。」とかなんとか。
だからそれ以上のものは書きたいとも思いません。


自分におもねっている人も同じです。自分の書きたいものを書くだけで、それはそうかもしれないけれどそれではぬるいと思います。


「ペンは剣よりも強い」という言葉があるけれど(ジャーナリストの話じゃないのと言う突っ込みは置いておいて)
「よりも」というのが本当かどうかは考慮の余地があるとは思うけれど
小説家にとってペンは確かに剣だったと思う。
でも今はもう剣なんて捨てたんじゃないかとも思う。

4.5

衝撃の大スクープ! 佐藤亜紀漫画から盗用 か?: 大蟻食の生活と意見
http://anotherorphan.com/2006/06/post_308.html
http://d.hatena.ne.jp/kagami/20060622#p5
あとたとえ「幻想」だとしても - Sound and Fury.::メルの本棚。


このエントリーはこの一連のあれへのレスポンスとして(遅いですが)書くつもりだったんですけど、揚げ足取るのもなんだなあと思ったもんで。


私はただ
「最近の小説が屑なのは、小説家がみんな、飯が食えれば満足な豚だからだ!それ以外のことは瑣末なことだ。」
と言いたいんです。

*1:椎名誠活字中毒者の味噌蔵」より

*2:ハルヒが萌え小説なのかは読んでないので知らない。