一部ソース元でない人の方法論。

私はたいしたブログウォッチャー(言わない)でもないんですが。

一部ソース元のブロガー、というのはきっこさんとかのことですが、そうでない人はブログに何を書けばいいのか。


まずエントリーの内容的に二つに大別します。

  1. 対象が限定される。
  2. 対象が不特定多数。

1というのは日記に代表されるような関係ない人が見ても何の意味も面白みもなく、狭い範囲で意味があればいいもの或いはなくてもいいものといえます。サークルのブログでサークル外の人がほとんど見ないなどの場合もこれに当てはまります。
これは何を書いてもいいから誰にでもかけるという利点がありますが、テキストサイトにおいて言われたように「他人のオ〇ニー日記を読んで何が楽しいんだ?」ということにもなります。
この場合は何を書けばいいのかということにあてはまりません。問題は2の場合です。
2も大きく分類出来ます。

    1. エンターテイメント性の高いもの。
    2. メッセージ性の高いもの。

エンターテイメント性の高いものを書く場合、ゼロから自分で考えるかどこかからネタを持ってくるということになります。
しかしコンスタントに続けるのがブログであるため、ネタの質と同時に量が要求され、どこかのソースからネタを探す場合は地道な努力が必要不可欠です。また自分の才能に頼って面白いモノを書こうという場合は高レベルなネタを連発しようとするよりも、昼ドラ効果で(言わない)だらだら読んでしまうようなモノの方が難易度が低く長く続きやすく人気も出やすい傾向にあるようです。
何を書くかということならば努力と才能の問題といえるでしょう。

メッセージ性の高いものの場合、不特定多数に広めたい情報を書くということになります。この場合一番分りやすく多く人気の高い情報が事実です。むしろほぼ事実しかないといってもいいでしょう。そのため多くが知らない事実を供給できるコネを持っている一部ソース元のブロガーが圧倒的に有利です。
では事実の供給源のないブロガーはどうでしょうか。
ニュースサイト系の場合。ブログではないですが報道機関もまた一部ソース元であるため一部ソース元の情報を整理編集して流すという作業です。そのままノーコメントでリンクを貼るにしろ、自分なりにコメントをつけたりするにしろ、これは情報を解釈するということであり、彼らが供給している事実というのは解釈そのものであるといえます。しかし一部ソース元の情報に対して付加価値としては小さいため、薄利多売の法則に則って量を提供しなければなりません。
批評系の場合はニュースサイト系と別種というより、ニュースサイト系の付加価値である解釈の部分を一部ソース元の事実に相当するほどの価値にまで高めようとしていると考えればいいでしょう。
そのためニュースサイト系における解釈よりも他人の思いつかないという独自性、希少性かまたは、その逆に需要が多いという事が重要です。例えば漫画や本の批評をしているサイトの場合その情報の独自性よりも確実に需要があることに重点的に価値を求めています。しかし時事批評などの場合は独自の見方新しいものの捉え方などを提供しなければなりません。


メッセージ性の高い一部ソース元でないブログの提供できるもの(私はあえて事実といいたいのですが)は解釈以外にありません。しかしソース元の事実の情報の価値には普通の状態では及ばず、また困ったことにソース元も自分で解釈を行なうことが多いためソース元に価値として勝つことは非常に難しいといえます。
(このソース元が自分で解釈するということが、事実が正しいことと解釈が正しいことの混同の原因になっているのかもしれません。)
大部分のブログがソース元でないことを考えるとこれは旧メディアとブログという構図として捉えることが出来ます。ひろゆき氏がブログが旧メディアに勝つようなことはない、といっていた様なおぼろげな記憶がありますが、それではブログがソース元の情報の価値を上回るにはどうすればいいでしょうか。

ソース元でないブログがソース元の情報の価値を上回るにはどうすればいいでしょうか。

まずブログの情報の価値を高めるには量を増やすか質を高めるかということが考えられます。量に特化したのがニュースサイトで質に特化すれば、批評系であることは述べました。では単純に考えて量と質両方に特化したら言えるかというとそうでもありません。一部ソース、旧メディアというものはすでに量と質両方に特化しておりそれに勝るほどブロガーが情報を流すことは困難でありその上ブロガーはソース元の流す個別の事実の価値をも伏さないといけないのですからかなり難しいといえるでしょう。
普通のブロガーが旧メディアに情報源として勝るには、三つの方法が考えられます。

  1. 量に尋常じゃないほど特化する。質はそこそこ。
  2. 質に尋常じゃないほど特化する。量はそこそこ。
  3. 質と量に尋常じゃないほど特化する。


1の量ですが、まず考えられるのがグーグルさんの力を借りるということです。グーグルの検索できる情報量はそれこそ尋常じゃないですから。しかし質の面では玉石混合もいいところなのでほぼ、質はゼロに近いともいえます。掛け算ならいくら量が多くても質がゼロなら結局ゼロになってしまいます、掛け算じゃないんですが。
やはりある程度の質が必要なのは確かでしょう。というわけで考えられるのがいくつもの質の高いブログを一つとしてまとめるということ。これはすでにニュースサイト、ブックマーカーなどで行なわれていますね。しかしそこで一箇所に集められた量がそれほど多いかということは疑問な所です。(量を尋常じゃないほど増やすにはさらに三次的な情報の集約が必要でしょうが、手間の増えることなしにそれをやるためには妖精現実さんのところで言われていたコピー文化の定着のようなものが手っ取り早いのではないかと思います。)
また量を増やしていけば何時までも比例式のように情報の総価値が高くなっていくというのは正しくないでしょう。個人としての情報の受け手に容量の限界があるのは確かですから、たとえ複数の受け手の場合容量は無限だとしてもおそらくすでにある程度の飽和量に達している物で比べあうと大きく総価値として勝ることは難しいということがいえます。

2はテキストレベル(言わない)或いは新書に出来そうなレベルの文章を、ということになるでしょうか。勿論新書のように半年に一度というようなペースでは話にならないので、ある程度コンスタントに非常にレベルの高いものをということでありこれもやはり難しそうです。しかしそれも個人ではということであり、ネット上に散らばった質の高い情報を選別し提示するブックマーカーということが考えられます。
この場合質が高ければ高いほど情報の価値としては高くなるため正しい手法といえますし、質が高いということはある程度伝播もするでしょうから集めるのもそれほど難しくはないでしょう。しかし、ネットが広いといってもそれほどレベルの高いものがそもそもそう沢山ないというのも事実です。
原因はいくつか考えられますが、一つあげるとすると、真剣にブログをやっている一人一人のブロガーにとってコンスタントに文章をアップするということが必要条件になってしまっているということがあります。ブロガーは基本的に自分のブログ自体の価値を高めることが命題であるわけですから、自分のブログそのものの量、更新速度の最低限度以上の速さでブログを更新するということになります。それが全体としてみて質を求めたときに、効率の悪さとして表れるのです。半年に一度しか更新しないブログなど存在しないからです。
受け手にとっては多くのブログを集約してまとめて一つのものとして見ることはソーシャルブックマークやニュースサイトによって実現できます。書き手も自分を全体の一部として捉えることが出来ればいいのですが。
解決として考えられることはやはり、複数のブロガーによる一つのブログのようなものでしょうか。私には具体的な形がはっきり浮かびませんが質に重点を置いて集客率を上げるための必要な更新速度を下げる仕組みが必要でしょう。それがポータルサイトの縮小版のようなものなのかグループのようなものの進化版なのか分りませんが、少なくともそれはネットの自由度を保ったままのものでなければなりません。


量と質ということを相反するもののように扱いました。しかし実際ネット上での情報量について言えば、受け手のスキルを前提とするならばすでに尋常じゃない情報量は当然実現されているわけです。ということはある意味2が実現されれば3も自動的に実現される可能性が高いといえるでしょう。


(これは余談かもしれませんが、もう一つの解決法として「天才の出現」も上げておきましょう。まったく私は最高レベルの文章、評論を惜しげもなくそして大量に発信する天才の出現を望んで止みません。あるいは天才であればそれ一人で旧メディアから主導権を奪うきっかけになる可能性もありますし、3の実現も容易でしょう(笑)。)