民主主義は別に・・・

「バカでいる権利」はキチンと代価を払って買うものだと思う
私はこれはひとつの境界線を越える話だと思います。きっと現行の社会制度が100年前500年前よりもよりよいものだと信じたい人は受け入れたくないんじゃないかな?
そもそも民主主義国民主権っというのは文字通り国民に権利が移行されるわけだけども、それと一緒にこれまで国王とか独裁者が背負ってきた責任ももらうわけで、これはおそらく「社会契約論」ってやつなんだろう。まさかいまさら「神の見えざる手」があるから大丈夫っていう人はいないでしょうから。(付け焼刃ですとも。)
その責任を放棄して誰かに乗っかろうっていう動きは、すでにファシズム社会主義体制として何十年も前に現れていたのは明らかですが、リンク先の話はそもそも今民主主義だと思っている現状は国民がマスコミに乗っかってるだけであるというのは前提で、かつそれでもいいんじゃないかといいたいんでしょう。
おおむね賛成しますが、それは民主主義をほぼ否定しているということが一番みそなんじゃないかと思うんです。
議論している人たちは民主主義を信じたいのでは?

まあそれはいいです。私は民主主義も社会主義共産主義と同じ空論でいいです。(資本主義は保留にしておきます)
ただ単に封建主義の王とか幕府とかの権力がマスコミとかに移っただけだということです。移行途中かもしれませんが。
しかしそうすると、現在の社会体制というのはこれまでの封建主義体制と比べて本当により良いのかという疑問がわいてきます。第一この状態では責任を取る人がはっきりしません。マスコミが第一権力というのはいかにもぼんやりしています。マスコミが暴走しても誰を抑えれば(オブラートに包んだ表現)とまるのかということが分りません。権力側がはっきりしないとこっちとしては不安なわけです。陰謀説も出てくるわけです。
また権力側が暴走することもありうるというこれまでの長い歴史で人々が学んできたことをうまい具合にすり抜けていることも気になります。

しかしこういう話をしてから考えると、椎名誠の「アドバード」は物凄い慧眼だと考えるほかありません。あれは広告企業と広告企業が戦争して世界が滅んだ後の話でした。インターネットとテレビが戦争をして(笑)インターネットが勝てるとは思えませんが、勝たないと困る事態にもいつかなるのかなと思ってしまいます(笑)
アド・バード (集英社文庫)