日記

友達が同人エロゲ作るから絵描いてサブシナリオ書いてあとプログラムとBGM作ってっていうんだけど・・・・・・まあそいつも絵かくしもう一人も絵描く予定だし他のシナリオは他の奴がやるしまあ良いんだけどさ・・・
おれBGMやったことねえよ。絵もこないだ始めたばっかりだし。ていうか
俺他のサークルでサブシナリオとプログラム書いてるんですけど!
「関わってる」としか言ってないからあんまり言えないけど。
ということで来年の夏コミに二つのサークルを掛け持って片方で絵とBGMとサブシナリオとプログラムというかスクリプトを書いて、もう片方のサークルでサブシナリオとプログラムやってる人がいたら俺です。
っていうかそんな事は可能なんでしょうか?
やってやれないことは無いんでしょうか?
うーーーーん
今からシナリオ書いとけば何とかなるのかな・・・まあ演出なんてこらなければただの作業だしね・・・・・・
どうなんでしょう。
でもやれる限りのことはやりたい主義なのでがんばる!
以上日記

ソーイング

「そーん」
という擬音語を発明したのは、昨年春のことだ。
回転する物体のエネルギーというのは元来恐るべきモノだ、と私は考えている。
まあ確かに、私個人の印象に過ぎない。
トラウマなのである。
幼少期の事だ。
夏期休業に入ると都会の親戚が庭の広い私の家に遊びにやって来て、いつもは一家族には広すぎる静かな田舎の家はとたんに賑やかになる。
あまり同年齢の友達と遊ぶ機会の少なかった私は、どぎまぎして初めからすんなり一緒に遊ぶというわけにはいかなかったものの、都会の兄弟達が明るくて気安い性格だった事が幸いしてすぐに仲良く遊び始めた。
いつもと違う友達といつもと違う遊びをする数日間は今でも印象に残っている。
元々家の中にこもりがちだった私は、外を案内してやってとおじさん連中に頼まれて、いとこ達をおっかなびっくり私に親しくない田舎を細い道を辿って川まで案内したりした。
面白いところ無いのとか言われてもわかるはずもなく……そのうち村を一周すると、また家の庭に戻ってきた。
それからみんなでかくれんぼをした。
かくれんぼ、私と私の妹だけではできない遊び。
家の裏や、低木の陰に隠れようとする新しい友達や妹を横目で見ながら、私は何時ものお気に入りにの場所に身を伏せた。
背の高いササ藪の中。
家の農場は広いけど人手が足りなくて結構ほったらかしにされているところがたくさんあった。
ササ藪はそんな一角で、一見足を踏み入れるのも難しそうなのだが、最初のチクチクを我慢して数メートル中に入り込み自分の周りのササを踏む付けてしまえば、しなったササはさながらクッションになって居心地の良い自分だけの即席の部屋のできあがり。
私は自分の見つけた秘密の隠れ家に得意げに逃げ込んだ。
何度もこうやってササの中に踏み込んだものだ、その何度かは一人で本を片手に、あるときなんかは親と顔を合わせたくなくて、でも今日はかくれんぼ。
寝っ転がると屋根のないわたしの小部屋はぎしぎし音を立てた。
黙って空を見ると刷毛で申し訳程度に塗ったような薄い雲が頭の上にあるだけで、後は気持ちの良い青空だった。
穏やかな風に乗って鬼の声が聞こえる。
子供達の声が聞こえる。
遠くで何かのエンジン音が小さく聞こえる。
どこかで牛が啼いている。
森の中ではセミが鳴いているが、牧場は彼らのテリトリーではない。
声は遠かった。
私は身じろぎもせず、薄っぺらな雲がゆっくり流されていくのを見ていた。
そうだ私が見つかる訳が無い、みんな私を捜して困り果ててしまえば良いんだ。
私はそんな事を考えながら薄い全能感に包まれていた。
そのうち、五分もしないうちに、遠くで聞こえてたエンジン音が大きくなったのに気がついた。
そしてそう「そーん」だ今になったら分かるアレは「そーん」という音だった。
果たして本当に「そーん」なのか、私の場所とかササの密生具合とか刈り払いのスピードとかが関係していて、あのとき特有の音でそれ以外の場所では再現性が無いのかどうかは分からないけれど。
「そーん」と聞こえた。
何の音なのかさっぱり分からなかったのが運の尽きだ。
私の真横から芝刈り機の回転刃が圧倒的勢いでササの切りくずを飛ばしながらいきなり現れて、締め殺される鶏みたいな惨めな声で悲鳴を上げた私の体を刈り取ってしまう間一髪のところまでいったのだ。
本当に間一髪だった。
もし頭の向きが逆だったら・・・・・・芝刈り機が出てきたのが足側じゃなかったら・・・・・・、少なくとも私の頭に一生消えない“スリット”ができたのは間違いない。
それから私は二度とササ原には近づかなかった。
それどころか、そんな事があったことすら、そのうちすっかり忘れてしまった。
で、昨年春。
私達は新居の掃除をしながら、嫌いな音についてのとりとめもない意見交換をした。
自分の嫌いな音は?と聞かれてうーんと考えた私は頭に何かが引っかかっているような奇妙な気分になった。
そこで仕方が無く、何かあったような気がするけど思い出せないんだ、と正直に告白した。
君はどうなんだ? と聞くと君はこう答えた。
僕は掃除機のスイッチを入れて吸い込み口を手で押さえてさらにその上でスイッチを切った時の音が大嫌いだ、鳥肌が立ってしかもはきそうになる。
という。変な音が嫌いなんだねと笑って、じゃあ実際に二人でやってみようということになった。
そのとき聞こえて来た音が「そーん」
私は鳥肌が立ってはきそうになって、その上、うわあっと声まで上げた。
君は期待したより遙かに大きい共感が得られて、かえって狐につままれた様な変な顔をした。
とたんに私は頭の霧が一気に晴れ、忘れていた一連の幼少期の夏の一日の思い出を一気に思い出したというわけだ。
そして我々はこの音に「そーん」という名前を付けたのだった。
・・・・・・それからも私はときどきこのことを思い出して考える事がある。
つまり物事の順序というものはいつだって入れ替え可能だけどその人にとってすんなりいくはまり方というものがあって、それは自分で考えて試行錯誤しないといけないということだ。
だからそういうわけで、私もこの何でも無い出来事が一体どういう意味をもつのかっていうことを考える必要がある、のかもしれない。
これはこういうことじゃ無かろうか?
君は何でもないはずの掃除機の音に理屈を超えた恐怖を感じた。
それは私が幼少期に受けたトラウマによる生存本能から来る「そーん」への恐怖が息子である君に遺伝して伝わったためではないか!?
なんてことを。

切手

ぼくの切手帳。
青い革の表紙にはどこか外国の古い切手が金色のインクで描かれている。
手に取ってみると厚みこそ一センチくらいしかないものの、なかなか存在感のある立派な作りをしている。
ちょっと小ぶりの写真アルバムくらいの大きさだ。
数年前に父親に買ってもらった物だった。
ページを開くと、少し懐かしい前に開催されたオリンピックの記念切手だとか、いつかの万博の記念切手の切手が並んでいたりする。
見返り美人復刻版なんかが混ざってるのはいったい何のつもりでかったのだったっけか。
所々父親が海外に出張したときにせがんで買ってきてもらった外国の切手が薄いシート。
ヨーロッパの鉄道の絵が描かれているのが欲しくて出張の時はいつも国際電話で「電車の」「電車の」って口癖みたいに言っていたん。
あれは素直に寂しいなんて言えない年頃の男の子のわかりずらい照れ隠しだったんだけど父親は気がついてたんだかどうなんだか。
でも、ページをめくっていくと切手は本の半分ぐらいで、数が少なくなったかと思うと突然無くなってしまう。
そこからのページにはもう切手は挟み込まれていない。
……飽きちゃったんだ。

ロボット

五人ロボットが来ていた。
五人?
それじゃ人間みたいだ。
五体と呼びなよ、と彼女は攻撃的な声でいった。
五体か……それじゃまるで死体みたいじゃないか、と僕は思った。
「自分と他人を分かつ境界線は本当にはっきりしたものなの」
挑戦的に彼女は言った。
「ロボットにはそれがないの、彼らには外側も内側も一緒じゃない。……違うのよ。クラゲは透明で中身もすかすかでほとんど水みたいに見えるけど、それでも生きているのは境界線が有るからよ。そこが違うの……そこが違うだけでクラゲは生きているの、水じゃないの、生き物なの、薄皮一枚の細胞膜だけで必死で世界と自分を隔ててるの、そこで死ぬまで戦い続けるのよ。」
突然、嘆願的な声で彼女は言った。
「……あなたも死ぬまで戦い続けなさいよ、悟ったような顔してんじゃないわよ、戦争よ、あなたの一部が奪われたのよ……無抵抗なんて絶対に許さない。」
僕の右腕を取り外した次の日の事だった。
……クラゲが一匹、やがて海流になすすべもなく流されて、叫んでも響かないような広い海の中空で孤独に死ぬまで戦いを続けている。

永久機械

ネタを作り続ける機械になったら楽しいかもしれない。
そのネタで誰かが笑ってくれたら嬉しいかもしれない。
でも自分の周りの物は全てネタにしないといけないから楽しいのも嬉しいのもネタにしてしまうだろう。
楽しいのも嬉しいのもネタにしてしまう事もネタにしてしまうしかない。
これ以上やってもネタにならないのでこのアイデアは全部一緒にもうゴミ箱行き。

暑い

八人人が来ていた。
八人?八ロボットだよな、きっと。
しかし暑い。
そういえば最近6k/hのタイピング能力を手に入れた。
内容の無いことであればいくらでもかけるぜ!
でもやっぱちょっとくらい内容がないと、寂しい………