いじめられた人はあきらめるしかない

最近いじめ問題が表面化したのでそのことについて。



 いじめられられてしまったひとは「普通」でいる事をあきらめないといけない。なぜか。
いじめは仲間内でしか起きない。仲間でなければそれは喧嘩かたかりであり、そして仲間内だからこその残酷さがある。いじめられた側があえて仲間でいつづけようとするならば、いじめはなかなか終わらないだろう。
 思うに何時までもいじめられる人というのは内心に、回りに溶け込みたい、普通の仲間でいつづけたい、まわりと同じでいたいという気持ちを持っているのではないだろうか。そうして共同体意識の発達していた、幼稚園の頃を懐かしく思い出したりする。
 教師などはここを勘違いして、いじめられる側がなにか義憤のようなものを持っているのだと思うから、クラス会を開いて騒ぎにしたりしてことを悪化させることがある。しかしいじめられる側の気持ちというのは「元に戻りたい」という事でしかなく道徳観念に従っているわけでは全然ない。


いじめられた側は仲間でいることをあきらめるしかない。
そして周りと同じである事をあきらめるしかない。
すぐ隣に自分とほとんど変わらないように見える普通のクラスメイトがいたとしても、その人のようにいたいと思ってはいけない。その人と自分が絶望的に違う事を知らないといけない。
私たちはたった一人のかけがえのない自分であると同時に、どうしようもないほど孤独なたった一人である。自分という人間が自分しかいないのは悲しいことだ。
 そしておそらく仲間とか普通とかいうものはそれを前提にしてしか成り立たない幻のようなものなのだ。だからいじめが終わって仲間に戻れる日などはこないと考えた方がいい。
 だから、一人である事を知らなければならない。
 でも心配する事はない。おそらくそれは、知るのがただ少し早いだけの事なのだろう。