GIGAZIN問題は愚衆じゃない!
近代資本主義社会でよくみられる現象だが、資本の集積によって産業構造の悪循環と好循環が固定化されて資本の一
極集中と貧困を生み出しているという問題が良く指摘される。要するに金持ちはもっと金持ちになって、貧乏はもっと
貧乏になるという単純な話です。
投資量が大きければ大きいほど、利益が必ず上がるという構造はよくある。そこでは逆に一定以上の投資をしなけれ
ば利益は先細りする。
米メジャーなどがいい例です。例えば農業は「緑の革命」によって、化学肥料を使うことで生産量を倍増させること
に成功しましたが、同時に最大の生産量を上げるには金のかかる大量の化学肥料を買わなければならず、また害虫の駆
除の為に高い殺虫剤を使わなければならなかった。
つまりちゃんと十分な投資をすれば、利益が上がるのだが規模の小さい農民にはその余裕がない。しかも化学肥料と
殺虫剤は次の年からだんだん量を増やしていかないと効果がなくなってしまう。そのせいで大きな利益を上げられるの
は次の年の十分な投資ができる余裕のある大地主だけになってしまった。規模の小さな農家はやってられないから、地
主に土地を売る。
すると土地の増えた大地主はさらに大もうけし、土地のなくなった貧乏が増える。地主はそのまま規模を増やしてい
けばどんどん利益が上がるので、そんをする心配がなくなります。(土地の荒廃などでどん詰まりになったら、もっと
大きい所に土地を売ってもいいわけですし。)
これでは掛け金が一定を超えると勝率が五割を超えるギャンブルのようです。
まあ米メジャーの成立を超簡単に言うとこんな感じになる。
GIGAZIN問題もこのタイプに当てはめられます。
ネット上での資本の一つは「知名度」です。ここではとりあえず資本=「知名度」と考えてみましょう。
「知名度」の高いサイトには何もしなくても人が沢山来ます。しかしさらに来る人を増やすためには、普通はさらに
質のいいコンテンツを提供してさらに「知名度」を上げなくてはなりません。
そこで「はてブ」の登場です。
はてブはおもしろいサイトを人に広めるためにあります。つまり沢山ブックマークされるとそのサイトの「知名度」
が上がり資本価値が高くなります。
いっぽう、おそらく先鋭的な一部のブックマーカーを除いて、一般のブックマーカーには、「ある一定価値のコンテ
ンツに対してそれをブックマークする一定の割合」というものが存在します。それは情報が古くなればなるほど下がり
、しかもおそらく1%以下の小さい割合なので、ブックマークが雪崩式に増えるというようなことはないのですが、初
めから一定量以上(1万とか十万/日とか、実際どうかは知りませんが)のヒット数を持っているサイトであれば情報価
値が同じであるにもかかわらず、ブックマーク数には飛躍的な差が出ることになります。
つまるところ、単に見る人がめちゃくちゃ多ければブックマークされるスピードも大きく上がるということです。
ソーシャル・ブックマークは加速装置です。
しかし、ある十分な「知名度」を持ったサイトがもしどこか違うサイトと同じコンテンツを少し遅れて出したとして
も、“初速”が全然違うため、ブックマーク量は遅れたほうが追い抜き引き離す結果になるのです。
そうしてブックマークされると、その大地主サイトの「知名度」がブックマークされたことによってさらに増え、大
地主サイトは次のコンテンツにかける資本=「知名度」をさらに増やすことができ、次はさらにブックマークされやす
くなるのです。
まあ簡単に言うとこんな感じです。
しかしこの問題を「愚衆化」と結びつけるのは、語弊がありすぎる。というかとんでもない見当違いです。
「愚衆化」といってしまうとまるで、GIGAZINをブックマークした人が愚かで、その人が悪いみたいな風にな
ってしまいます。それは完全にただの難癖です。
そもそもこれは誰が悪いとか言う話しではなく、構造の問題です。
大体ブックマーカーは好き勝手にブックマークすればいいのであって、全体の結果に責任を持つものではありません
。全体のことなど考えずにブックマークし結果的によくなる、それがあるべきブクマの姿です。
結果をよくするためには、結果がよくなる構造を作る、WEB2.0に関連するものは大体そういうものじゃありませんで
したっけ。すべては無意識の結果論なのに犯人探しをするなんてのはナンセンスなのです。
そんな人たちは単に、GIGAZINをひがんでるだけなのだと考えて間違いないでしょう。
しかし、「一人一人が意識を変えるべきだ。」だとか言い出したらインターネットもおしまいですね。
(タイトルは岡田淳「ムンジュクンジュは毛虫じゃない!」より。)