私は「勝ち組」「負け組」という言葉が好きだ。

日本人はどうも勝ち負けをあいまいにしたがる種族のようで、結果をはっきりさせることをしない。そういうやり方が私はうんざりなのです。第一そういうのは勝ったほうにも負けたほうにもよくない。いい加減負けた奴には、はっきりお前は負けだと言ってあげるのが親切というものです。


 これは去年までのジーコジャパンの悪習としても出ていました。彼ら(勿論日本人ですが)は基本的に勝ち負けをはっきりしたがらないので、大敗どころか大敗もできれはしようとしない。なるべく僅差で「あともうちょっとで勝てたのに」とか「ぎりぎりでかたけどまだまだ駄目だな」くらいの「負けに近い勝ち」か「価値に近い負け」というポジションが居心地がいいと思っています。
 だから自分より強い敵にはぎりぎりで負け、格下の敵にはぎりぎりで勝つ、ということを無意識に狙ってしまう。結果はご存知のとうりです。


 これは太平洋戦争で中途半端に負けた後遺症だという説も説得力はあるのですが、私はこれは江戸時代の徳川幕府の影響下にあるのではないかという確信を持っています。
 なぜなら日本史の中ではっきりと勝ち負けが付いた戦いは関が原の戦いが最後だからです。その後数百年日本は鎖国の中で生ぬるい時代をすごしますが、そこで徳川幕府の「勝ち負けにこだわられたら、そのうち倒幕されるから困るよね。」という意図によって、勝ち負けをはっきりしない風潮を広めるような工作を取ったと考えるべきか、単に鎖国の中でそういう気風が自然に生まれたのか。


 とにかく私には「勝ち組」「負け組」ということばが鎖国時代の呪縛をとくきっかけのようにも見える。
だからこれはどんどん使うべき言葉なのです。