時代に眼を曇らされても。

「文学的価値は結局は時間がたたないと理解されないものだから、現代の文学でそれを論じるのは無駄だ。」
というような反論は、文学についてだけでなく、漫画などでも古典作品と比べて現代の作品を批判する、「濃い人」に対してよく使われている様な気がします。


確かに同時代の作品と言うものは、その時代の記憶を共有している読者が、どうしてもシンパシーを持ってしまうせいで、正当な評価はされにくいと言えます。
しかしそれはけして、その時代に文学的価値が理解されることはないと、言い切れる証拠にはなりえません。
現代の作品の価値を理解できないのなら、どうして古典の価値を理解できるでしょうか。


たとえ正確な評価を下すことが出来なくても、作品の芸術性に対する評価は試みられていいでしょうし、その価値は十分にあると思います。