退屈と反比例の法則(先に謝ります。でも後から謝らない。というか妖精さんへのオマージュ(と書いてパクリ)

「割りぜりふは歌舞伎の技法だ」

「何が言いたい、やぶからぼうに」

「 ―― これを読んだ今、おまえは既に感染している!」

「可哀想に、この人間は、今後アニオタがアニメ特有の技法・割りぜりふ ―― 」

「 ―― などと言うたびに」

「 ―― 本来は歌舞伎の伝統的技法でアニメの技法ではないんだと」

「 ―― 思ったり言ったりしなければならなくなる」
妖精現実:話たちの話

昨日「陽気なギャングが世界を回す」って本を読んだんですよね。
地球を回すだったかな?まあどっちでもいいけど。
おもしろかったんですけど、古典ばっかり読んでるとそれに慣れてしまって、なんだか違和感があります。
なんかこう読みやすいんだけど読みやすすぎるって言うか、歯ごたえが無さ過ぎるって言うか。
それはいいんです。


章の一つ一つの始めに、なんだか国語辞典からの引用みたいなのが書いてあって、それがおもしろいんですよね。
一番興味深かったのは、
「退屈」です。
正確になんて覚えてませんが、
「…作品の芸術的価値と比例して上がると誤解されている。」
と書いてあるのをみて私は、ひらめきました。
というか看破してしまいました!
ネット上に塵芥の数ほどある、論壇系ブログや政治系ブログ。あれが大体難しい言葉を使っていて退屈に見せていたのは、
全部内容の価値の無さをごまかすためだと言うことを!

おまえは既に感染している!
妖精現実:話たちの話

既に感染してしまいました。
というわけでこれを読んだ人は、
難しそうなブログを目にするたびに、
「これって内容の無さをごまかしてるんだっけ?」と、
思わずにいられません。
なんとこれは、無意識の自己防衛反応と結びついた考え方ですからなおさらです。フロイトの保障つきです。
もしかしたら
「このブログ何言ってんのかぜんぜんわかんなーい。私あたまわるいのかなー?」
とか、誰かに聞かれたときに、思わずかっこつけて、かつ相手を気遣う優しさをアッピールするために。
「内容の無さをごまかしてるだけだよ。」
とかいうかもしれません。
いや10人の人が読めば一人は必ずそういうことになるでしょう。
ミームは増殖します。

「ある程度広まれば ―― 」

「 ―― みんなそう考えてる、ってことは、そうなんだろうなぁ ―― 」

「 ―― ってことになる」

「 ―― というわけだ」
妖精現実:話たちの話

自分で広めといてなんですが、かわいそうなのはブロガーです。
難しい内容だから難しく書いているだけなのに、これじゃあ読まれもしないで馬鹿にされてしまいます。
かわいそうに。私もブロガーだから気持ちはわかります。
こうなったら、難しい内容をなんとか簡単な、誰にも読める文章に直して書かないとどうにもなりません。

これまでやったことの無い作業ですから大変です。

「道は遠いなあ」

「千里の道も一歩から」
妖精現実:話たちの話

人間努力すれば何とかなります。
むしろ、無理だ無理だと思っていることこそ、ポンッと簡単に出来てしまったりするもんです。