ネットへの期待とかその他

久し振りにテレビニュース見たら村上ファンドのニュースをやってました。内容なんて改めて言うほどの事もないんですが。
しかしテレビのコメンテーターってひどいですね、あれはもう自分で何言ってるのかわかってないんじゃないでしょうか。もうほんと頭悪いと思う。なんだか知らないアニソンを延々と聞かされてる時のような不快感を憶えました。テレビばっか見てたら頭悪くなるからみんなやめた方がいいと思われます。
いや悪口を言い過ぎました、そこまでひどくなかったかもしれません。「村上氏とかは成長に精神の成熟が追いついてない」とかいった人すみません。でも村上氏は犯罪者だけど潔いからよっぽどましな大人だと思うんです。他の問題に目を移すと特にですね。


しかしこうして久し振りにテレビニュースを見ると実際、あれテレビって程度低い?って言うのが正直な感想です。コメンテーターはマニュアル通りのベタなコメントと自論に話をつなげるための為のこじつけしか言わないし・・・。(NHKはまだ余計な事言わない分いいと思いますよ。)
それであれ?って思ったんですよね。この間までテレビとブログという対決構造じゃ一次ソース元じゃないネットはやっぱり不利だよなあとか思ってたんですが、意外とそうじゃないかもしれません。特に知識層が多い日本とかではいったんネットに優良な情報があるとわかればテレビのレベルで餓えている意外と上のほうの年齢層がネットに移るんじゃないでしょうか。
ネットの春は意外と早いかもしれません。


話は変わります。
ウェブ進化論」とかも少し読んでみたりしてネットに対する期待は色々出てきておもしろいですね。
これは前から思っていたことですが、現代(或いはもっと前から)というのはあらゆる出来事に対する適切な理解と正しい対処法についてのヒントというのがもうほぼ全て既に在る時代です。
わかりやすいのはことわざです。しかしそれ以外でも大昔から、あらゆる人があらゆる場面であらゆることを「紙メディア」に書いてきましたからほとんどのことは既に書きつくされているんです。
まあよく言われる話です。ですからその図書館を見ればほとんどのことが判るし、わからなくても自分で考えたりニュースを見たりするよりも(違う人がよっぽど長い時間をかけてすでに考えつくしてくれているわけですから)よほどましなヒントが得られるのは当然です。
堀江貴文氏が以前「過去の失敗例を知っていれば失敗するなんてことはない」とかいう風なことを言っていました。まああの人は結局失敗しましたが、言ってることは間違っていませんでした。じゃあなぜ失敗したのか、彼の図書館が完全ではなかったからか途中で自分の力を過信して過去から学ぶことをやめたのか、それとも間違いと判っていて間違えたのか。一つ言えるのは彼が本当に過去から学んでいればおそらく失敗しなかっただろうということです。彼の失敗は何も全く新しい革新的な失敗ではありませんから。
彼に限らず私たちはそのほぼ完璧な図書館を持っているにもかかわらず、同じ失敗を繰り返しています。これは余談ですがあなたは「大きな物語が終わった」という話を何度聞きましたか?私は大して生きていないのに3回くらい聞いた気がします。
まあそれと同じことで、「歴史は繰り返す」「歴史から学べることは人が歴史からなにも学ばないということだ」というこの2つでセットのこのことわざの示すとおり人間はその図書館を生かすことが出来てきていません。
理由は一つです。図書館が余りにも膨大すぎて有用な情報があっても見つけられやしなかったからなのです。


・・・普通ならここで結論を書くんですが、というかもう判ったでしょう。そうです私は「世界中の情報を整理しつくす。」というグーグルその他にその図書館の整理係として大きく期待してるんです。
「歴史図書館」からグーグルが最も適した情報を提供できるようになって初めて人間は歴史から学ぶようになるかも知れません。
上記のことわざを過去のものにする方法はきっとそこにあります。