ネト右の問題:コメント削除は言論弾圧か。

同じテーマで書いてる人は結構いたんですが、なんだかどちらかに偏った意見しかなくて中間の意見というものが見られないので少し書いてみます。


コメント欄の性質

コメント欄というものは基本的に個人から個人への意見の伝達を行なうコミュニケーションの場です。不特定多数の人に対して意見を表明するための場ではないのでコメントを消したり削除することは誰かが意見を表明する場を奪うことにはなりません。
ですから個人間のメールと同じく勝手に削除しようが封鎖しようが問題はありません。コメント欄を見る人とコメントを書かれた人からしたらそれは自明の事実なのです。

しかし書き込む側によって事情が変わることもありえます。例えば書き込む側がネット右翼(以下ネト右)の場合。彼らにとってもそれが自明の事実であるとは限りません。彼らの基本的な主張の根本がというものが「何かのアンチであること」を軸にしているからです。むしろネト右という呼び名こそ反左反中韓の意見の書き込みという現象に対してつけられているという面もあるのだから当然でしょう。
つまり誰かの意見に反対して批判する、その批判自体がネト右の主張の一番大切な部分なのです。だからネト右からするとコメント欄への書き込みというのはブロガーとの一対一の対話であるようで実は、そのブロガーが間違ってるという主張であり自分は違う意見を持っているという、ネット上の不特定多数に対する、意見の表明に他ならないわけです。ですから彼らにとってコメントを消されるということは大事な自己主張の場を奪われることを意味しそのために反発が起きたといってよいでしょう。
しかもそれに対してネト右は批判ばかりで主体性が薄いと言う趣旨の批判は的の外れたものになります。なぜならそれは伝統的な「保守」のポジションほとんど似通っているからです。「保守」は元々何かに対する保守ですから。
これはまさに「ネット右翼」の名にふさわしい性質ですから「ネト右」と呼ぶ側がその性質を(ネト右だけを指して)批判すべきでなくむしろ許容すべきでしょう。

結論:消すべきか。消すならどのように消すべきか。

ブロガー側はコメント欄が主張の場でないのか、ただブロガーへ意見を言うだけの場なのかを決めることが出来る。主張する場とするのならコメント欄には手をいれるべきではありません。
意見を言う場とする場合もコメントを消すときは注意が必要です。自分で好き勝手に特定のコメントを消すべきではありません。都合の悪いコメントを消すことには当然ブロガーの見る人への主張が含まれてしまいます。
コメント欄の性質は元々ブロガーの意見で占有されるようなものではないですから、コメントする人に主張しないことを求めるならばブロガーもコメント欄でそうすべきではありません。そうしたいのならば最初からその旨を前もって告知しておかないといけません。
そうでなければ倫理的に言って、責められても仕方がないでしょう。「言論弾圧」が正しい言葉かは別にして、そのように責められる原因を作ったのはブロガー側の責任といえます。


ではそのことを踏まえてブロガー側はコメント消したいと思ったときどのように対応すればいいでしょうか。
「荒し」であれば十中八九同じ一人の荒しだろうと思うのならば消したり書き込み拒否しても問題ありません。
荒しでなくても消したい場合や書き込み者が多くて荒しのようになっているときは、消したいのならばあえてコメント全てを消すか完全にコメント欄を封鎖すればいいでしょう。

これならブロガー側の一方的なコメント欄の占有は起こらないのでブロガーは責められるいわれはないはずです。自己主張は他の場でやってもらえばいいのですから。

付け足すと、では多すぎるコメント(コメントスクラムって言うのかな。)を読まなくてはいけないのかという問題もまた上の理由で読まなくてもいい、ということになります。そのコメントは意見の伝達ではなくて主張であるなら誰かの主張を読まなければいけない義務は誰にもないし、誰もそれを強制すべきではないからです。