メモ。なぜ人を殺してはいけないのか。は、なぜ問われたのか。

問うこと自体が間違っているなんていわないでもっと真剣に考えるべきだったんじゃないかと思うわけです。
結局それはなぜ死んではいけないかと同じ質問だったわけですが。私たちが完全に信じられる考えの中でそれが分らないなら状況によってはいつでも死ぬ準備が出来ているということです。しかしもっと世界が(ある面で、ですが。)狭かった頃人が信じていたことを同じように信じることは、知ってしまった人たちには無理なのではないでしょうか。
人の考えというものはあいまいなものです。ボランティアをする人が善行と偽善について悩むのと同じことで、いつの間にか目的が最初と違っていたりまたはどちらなのか分らなくなるというのはよくあることです。
正しいことをしていると信じていた人が、ふと気付いてしまっただけでそれは偽善なのではないかと疑い始めるように、私たちも知ってしまったことを完全に忘れる以外の方法で疑いを持たないことは出来ないのではないでしょうか。或いは少なくとも大きな努力が要るのではないでしょうか。
自殺者が増えているとよく聞きます。
彼らの何人かは、窮地に立って同じ問を問われたのではないかということを想像します。人はうまくいっているときは何にも考えないでうまくいかなくなって初めて考え始めるということが正しければまた、うまくいっていないときに考えてもろくな考えが浮かばないということも正しいわけですから、結局私たちはもっと真剣に、答えを見つけるつもりで、考えるべきだったんじゃないかと思うわけです。