ネットイナゴと言うネーミングについて。

一部の人は、「虫呼ばわりしやがって。」ということで反発を感じるでしょうが、
しかし実の所私はぴったりだと思っています。
というか偶然にも私の考えとぴったりじゃないですか。
一匹一匹は可愛いくて草を食べる量も微々たる物だけど、大勢集まると最悪なとことか。一部で毛嫌いされてるとことか。

しかも私イナゴ好きです!
あのアゴの動きがメカニックな所とか。足の感じが。


イナゴに関する豆知識1;虫かごで飼うとくさくなる。

現代に残るアニミズムの痕跡。

古い精霊。忘れられた神。虐げられた者たち。彼らは影に潜み姿を変えながらも、生命を保ち続けている。
五十嵐大介「魔女」)

いつか、朝日新聞のコラムでどなたかが(思い出したらまた。)書かれていた、アイヌの自然信仰が色濃い言葉と縄文人のお話で、日本語にも自然信仰の影響が残っていると書かれていたことを思い出しました。
ここにメモしておきます。

木の擬人化(萌えキャラの話じゃありません。)

日本人が木を人と同様にみなしていたことの証拠。?


花→鼻
実→身
芽→目
葉→歯
幹→身(木)


他にも見つければ追加しようと思っています。

時代に眼を曇らされても。

「文学的価値は結局は時間がたたないと理解されないものだから、現代の文学でそれを論じるのは無駄だ。」
というような反論は、文学についてだけでなく、漫画などでも古典作品と比べて現代の作品を批判する、「濃い人」に対してよく使われている様な気がします。


確かに同時代の作品と言うものは、その時代の記憶を共有している読者が、どうしてもシンパシーを持ってしまうせいで、正当な評価はされにくいと言えます。
しかしそれはけして、その時代に文学的価値が理解されることはないと、言い切れる証拠にはなりえません。
現代の作品の価値を理解できないのなら、どうして古典の価値を理解できるでしょうか。


たとえ正確な評価を下すことが出来なくても、作品の芸術性に対する評価は試みられていいでしょうし、その価値は十分にあると思います。