オタク蔑視と同和差別がよく似ていることについて、

とは言っても、根っこにある、日本人の意識のようなレベルの話ですから、
或いは「現在の同和差別」とは直接は関係ないといえるかもしれません。
歴史のレベルで同和差別とオタク差別を同列に扱うのは無理な話です。だから「現代の同和差別」の話には当然なりえません。

むしろそのきっかけのようなもの、発生理由というようなものが問題になります。


またこの話はただ単に、ニュースで
「フランスではオタクってもてるんだってさ、」
という話を聞いて、
もしかしてオタクに負のイメージがあるのは奇妙なことだけどそのオタクを生み出した日本人だけだったりして、もしそうなら日本人特有の意識のようなものが作用しているはずだ、という思いつきによります。
もしこれでオタク全般に対して嫌悪感を持っていた人が、それが差別の面を持っているという意識を持っていただけたら嬉しいですが。

同和、部落について

同和についての手元にある資料は、かなり新しいものだとは思いますが、こうゆう歴史の問題というのは最近になって新しい発見がどんどん出てきていたりするので注意が必要です。


確認しておきたいのは、

  1. 権力者が一から作ったのではない。
  2. 起源は少なくとも中世だということ。
  3. 必ずしも貧しかったわけではなく、裕福だった場合も多かった。
  4. 職業を必ずしも強制されたわけではなく、特権的でさえあった。

(今はともかくですが。)

類似点

  1. 特別な技能を持っている(というイメージがある)

オタクについてはイメージだけという場合も多い気はしますが。
同和差別では、革製品(武具などがこれに入ります。)などを作る特殊な技能を持った人々が特別視されていたという面があります。

  1. 中の一部の人は、非常に名声が高い。或いは神業と言えるほどの芸術性の高いものを作る。

オタクで言えば宮崎駿押井守などでしょうか、あと村上隆とか、オタクの正の側面を享受している立場ともいえます。(アニメーターは給料安いそうですけど。)
同和差別では、例えば「歌舞伎役者」。これは微妙ですが、今でも名声は高いです。
あとは猿楽能の創始者である観阿弥世阿弥。庭師の善阿弥。
部落の人々は芸術に秀でた人々でもありました。


オタクであれ部落であれ、彼らは一種畏敬の念を持って見られていました。

  1. 共同体から独立している。

<友達が少ないから、一人遊びばかりするようになって、そのうちそれに熱中してオタクになった。>というような場合が多いようだからです。
部落の人々も農村から離れて暮らしていたようです。

  1. 身体的理由

上と似たようなはなしですが、身体的なハンディキャップ(軽いので言えば顔とかですね。)が大きい人がオタクになる場合が多いのではないかという点で。
漫画などでは「イケメンのオタク」というキャラは、意外性を出したいからなのかよくみられますが、個人的に実際のイケメンのオタクというのは、ほとんど見たことがありません。一概には言えませんが少なくともイメージではオタクはかっこ悪いというのが一般的でしょう。
部落でも病気などの理由で農村を離れたという場合があるそうです。
ジブリの「もののけ姫」で、タタラ場で石火矢とかいう銃を作っていた包帯でぐるぐる巻きになった病人たちを思い出してください。まさに彼らが部落の差別されていた人です。
(実際もののけ姫はかなり部落や「ケガレ」等の要素が詰まった映画です。)


部落差別においては、これはかなり直接的に差別の原因になったのではないかといわれています。

  1. 「性的な意味で」

オタクの場合は、「性的な意味で」敬遠されているという面がとても大きいようです。悪名高い「同人誌」はほぼ全部エロだし「エローゲーキモい」というようなことです。
男のオタクにはロリコンのイメージさえあります。
部落の人々についてもいえるのは、例えば「歌舞伎」の場合。
創始者は勿論、出雲阿国ですが、その後阿国を模倣したのが、遊女がやる遊女歌舞伎(女歌舞伎)少年が演じる若衆歌舞伎であり、その後風紀を乱すという理由で禁止されました。
おもしろいのは後者で、これはそもそも男色宿の少年たちを使ってやっていたという話もあります。つまり完全にそっち狙いでした。
まあ当時は男色が特別視されていなかったということもあるので、あくまで「性的な意味」でです。
しかし阿国が部落だったのか、と言うのは微妙な話だそうで、しかも「芸人」ではあるものの「歌舞伎役者」を部落の中に入れていいものかも微妙な所です。


しかし男色についてだけでも、部落とのかかわりは歌舞伎だけではありません。能楽創始者世阿弥室町幕府第三代の将軍である足利義満の関係は有名だそうで、世阿弥が「少年の美」の魅力について述べた文章が残っています。


以下ウィキペディア少年愛」からの引用


鎌倉幕府の将軍や執権、有力な大名たちも制度的な少年愛を実行していたと推定されるが、歴史的に有名かつ顕著なのは、次の室町幕府第三代の将軍である足利義満と、その寵愛を受けた能楽師世阿弥の関係である。世阿弥は後に夢幻能を完成させ、『風姿花伝』を著すが、その書のなかで、「少年の美」の儚さと、しかし抗いがたい魅力を述べている。

男色の道は、世阿弥の能芸の流布と、『風姿花伝』における少年の儚さの賛美と相俟って、武士や僧侶階級だけではなく、広く一般庶民にとっても「憧れ」と「美意識」を持って期待される文化風俗となった。江戸時代に興隆し、時代を風靡する文化となる若衆道すなわち「衆道(しゅどう)」は、この時代に流行の起源がある。

違い

大きな違いは、オタクのイメージの多くがマスコミによって流されたことでしょうか。
また部落差別成立当時とは生活環境がかなり違いますし、現代では共同体というものもほぼなくなったのではないかとも言われています。
またこれは重要ですが、オタクは世代間で継承されません。(いや部落も江戸以前の中世では共同体に戻ろうとすればできたらしいのですが、)




しかし部落差別もオタク蔑視もある種の「特別視」によって起こっていることは間違いないでしょう。
その点ではこの二つは同じモノといえます。

続くかも。