日常とネットでは「空気読め」の意味が決定的に違う。

掲示板などで空気嫁(読め)と言われる時をオフラインでたとえてみると、経営会議の最中に役員がいきなり「昨日の阪神凄かったよねー!!」とか、言い出すようなもんです。
日常で空気読めというときは、周囲の無言の期待と口調から推測される微妙なニュアンスを読み取りそれに即した反応をするか或いは自分のセンスでさらにその空気を良い方向に発展させるという高等技術のことなのです。勿論それ以前の空気読めない人もいますがそれは空気というより「TPO」の問題と言った方がいいでしょう。
というわけですから日常とネットでは「空気読め」の意味がかなり違います。ネットでは会話の流れを知らない人がいきなり会話に混ざる時に、どういう話をしているのかということの全体像を正確につかむのにある程度手間が必要なのでそれを怠って「TPO」に外れてしまう人が多く出てしまうからでしょう。


日常における「空気読め」というのは大体においてそうした方が“楽しいから”空気読むのであってはっきり言ってそれ以外の意味はあまりありません。
まあ楽しいことが至上命題になっている小学校とかでは空気が読めないことは致命的かもしれませんがそれ以外の場におけるコミュニケーションについて言えば、TPOさえ守っておけば多少空気を読まなくても問題はないでしょう。
ですから空気が読めない人の悩みというのは友人関係や人間関係に集中します。馴れ合いの強い職場にいたりすると大きな問題になってしまうかもしれません。ですが私が思うに人間関係というものは馴れ合いだけで成り立っているわけではないものですから、出来ないのに無理に空気を読もうとすることもないでしょう。
空気が読めないということは他人に意識を集中し出来ないということですから、きっとその無駄な分の集中力を違う方向に向けることができるかもしれません。その分の力を自分を磨くことに向ける事が出来ればいいんです。
例えばアメリカ人はあまり空気が読めませんが(アメリカについて言えばそれどころじゃない気もするにもかかわらずw)アメリカが大きな力を持っているため他国から尊重されています。
ですから空気が読めない人は馴れ合いによる人間関係を目指すのではなくて、人に尊敬されるようになってそれによって人間関係を作ればいいわけです。空気を読むことが人間関係の全てではありません。