クボタの欺瞞

クボタがほめられているのがどうも気に入りません。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060419ig91.htm
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20060418p101.htm


テレビで特集を見ていたところ少し引っかかる所がありました。リンク先の記事からはニュアンスがわかりにくいのですが、
個別の因果関係は認めずに、保障を決め、救済金を受け取る場合は、同社への賠償請求権を放棄する。となっている点。
つまりは迅速に保障をする代わりに責任をはっきり認めることをせず勿論裁判所ではっきり責任を認めさせることをできないという交換条件を出した形になっているということです。

では因果関係を認めて保障する場合と認めずに保障する場合とでは、クボタの倫理的立場はどう違うでしょうか。


後者の場合プラスに取ると確かな責任を認めなくても償いは高いレベルでしたのだから、それくらい取るに足らないことじゃないかという見方も出来ます。
それは確かにその通りかもしれません。
しかしクボタの取りうる倫理的な立場を考えた場合、―つまりクボタの中の人がクボタとこの保障のことをどう思うかということで、当然そういうものは自己弁護的なものになりやすいわけですが―確かな責任を認めないということは保障をするということの意味を頭の中でひっくり返してしまうことが可能です。
前者の場合その内容は限定されていますつまり
「悪いことをしたのだから、償いは当然しなければならない。」
となります。
では後者の場合で意味をひっくり返してみると
「悪いことをしたかどうかはっきりしないのに償いをするなんて自分たちはなんて偉いのか」
となるわけです。
勿論これはどのように取れるかという可能性の幅の話であって後者の場合でも前者のようになる場合もあります。むしろこれは後者の場合の可能性というもののぎりぎりあたりであるだろうとは思います。つまりクボタを性悪説的に見ているわけです。
しかし偏った見方とは思いません。どうであれ驚くようなことではないでしょう。