ジャーナリスト宣言にけちをつけてみる

「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言朝日新聞

という御大層なコピーを朝日新聞が出しているわけですが、これって変ですよね。
「言葉の力を信じている」って言うのがこのコピーの概要なんですが、朝日新聞の言葉の力っていうと朝日新聞自身の力ということになりますからこれでは、
「自分の力を信じている」っていうことになってしまいます。


百歩譲って仮にここで言う言葉は不特定の「言葉」であって朝日新聞のということではないとしましょう。ということは朝日新聞は「言葉」にチカラがあることを信じていると宣言しているわけですね。しかしそれでは随分滑稽に思います。
なぜなら言葉に力があることは明白だからです。
言葉が無力な時というのはもっと強力な言葉によって押しつぶされている時か(洗脳などが良い例です)言葉が物理的な原因で相手に届いていない時です。
つまり物理的な原因以外で不特定の「言葉」に力がないことなどないのです。
まさか物理的な障害のことを言っているはずもないと思われますから、これはジャーナリスト宣言の「言葉は・・・ときに無力だ。」の部分に矛盾します。
なので「言葉が無力」の意味は、朝日新聞の言葉が無力だという意味以外にありえないでしょうし。ジャーナリスト宣言の内の言葉の意味は「朝日の言葉」という意味だということが判ります。


確かに朝日の言うとおり自分の力を信じることは大切なことかもしれません。
しかし私が朝日に期待するのは力を信じるなんてこと以上に力を自覚することです。信じようが信じまいが力はそこにあるのですから。