命の価値と、あとついでになぜ人を殺してはいけないかを論理的に説明する。

序は飛ばしましょう。

序。*1
恣意的な理由つまり結果のために作られた非論理的な理由を使わずに、命の価値を論じたいと思う。
だから法律も倫理も道徳も宗教も使ってはいけない。
そんなことが可能なのかと思う人は、おそらくとても素直に論理性というものを信じている人だろう。でもそういう人は多いはずだとも思う。
しかし論理と言うものは、ふつう初めからある材料から答えを導き出すものだと思われている割に実際は答えのために材料を発見することも多く、答えを正当化させるためだけに使われることさえある。
それからわかると思うが、論理性というのは意外と使い勝手がいいものだ。宗教ほどではないにせよ。
誤解がないように言うと、論理と言うものはどの論理も正しいものなのである。正しくなければ論理ではない。
自分の思うとおりの結果を導き出す論理を構成するためには、その論理に必要な前提とその結果について普通論じられるときにある前提を、知らないといけない。
大切なのはアルゴリズムを書き換えることではなくて、あくまで同じ材料を使えば同じものができるのが論理というものなのだ。
例として今のこのような命題のとき、既成の前提を使用して論理を組み立てると、必ず思った結果が否定されることがわかると思う。
「命の価値」という概念は「命」と「価値」の二つの組み合わせだが、「命」の大切さ、素晴らしさならば人類共通のものとしていくら論じられても「価値」があくまで個人的なものになりうる以上、たった一人の皮肉屋によっていとも簡単に全て否定されうるからである。命に派生するあらゆる価値あるものを「価値がない」と断ずることによって。
だからこの場合しなければいけないのは価値という概念を再構成しなおすことであり、また上の論理が個人によってあらゆる価値を否定しうるということによって破綻していることに注目すれば「個人」という概念を再定義すれば、価値のほうも自動的に変えることができるということがわかるだろう。
もちろんこの場合目指すべきなのは、「個人によってあらゆる価値を否定出来ないようにする」、ということになる。
このときは個人の定義を広げることを考えればいい。というのも個人が価値を否定出来るのは「個人」が言葉を好き勝手に操れるからでありほとんど無限といえるほど「口だけならば」小回りがきくということに原因があるからである。ここでは口だけ封じればいい。
だから「人類というのは別々の個体のようで、実は全部で一つの生物なのである。」という所まで広げてもいいのだがそこまで壮大に広げる必要はない。
口を封じるということは、自分で「自分自身」をコントロールできない、把握できない、否定できない、価値を決められない、ようにするということである。
私の場合は「肉体」というところまで広げてみた。現代人の傲慢をいさめるにはその程度で十分だろう。


このように、前提から見直せば、大体のことは論理的に説明できることがわかったと思う。
しかし問題は、その命題の難しさ(或いは奇抜さと言うか、)が高くなるほど、前提を常識から外れたものに設定しなければならなくなるということだ。
例えば「なぜ人を殺してはいけないか。」という命題の場合先程の「人類というのは別々の個体のようで、実は全部で一つの生物なのである。」という前提を使えば説明はいとも簡単だがそれでは余りにも普通の人に受け入れられにくすぎる。
同じように「1+1=3」ということを論理的に説明しようとすれば、外から見てかなり非常識に見えることになってしまうだろう。
しかし倫理というものに限ればそれは当然常識的なものである。おそらくそれほど無理をしなくても論理的な説明は十分可能であろう。


全ての価値を決めるのはその人自身です。能動的に決定できるかというとあやしくなりますが、価値の決定をする基準が個人個人に内在している、という言い方をすれば正しいと言っていいでしょう。
これがまず前提。


価値のことを考える前に、
価値を決める自分自身って一体なんでしょうか?
自分は自分じゃないか、と思われるかもしれません。しかしそれはおそらく半分しか合っていません。なぜなら、たいていの現代人にとって「自分」を思うときそれはほぼ、自分の心のことをさしているからです。それはしかし(脳なんかの)体のあくまで1部分のことであって自分自身じゃありません。
自分自身というのは自分の体の頭のてっぺんからつま先まで全てのことです。


こういう話があります。
又聞きですが、昔の説話かなんかです。

ある所に一人の法師がいた、
理由は省くが、世を儚んで、死んで仏になることを決意した。
しかしこの世に未練を残して死んだら地獄に落ちるのは間違いない。
そこで法師は人に頼んでこういった。
「私がこの紐を持って、川に身を投げます。未練が残っていて、助かりたいと思ったらこの紐を引いて合図するので、そのときは引き上げてください。」
法師は川に身を投げ、6度*2紐を引いてしまい、6度引き上げられたが、七度目には合図はなく法師は二度と引き上げられなかった。*3
(引用と言うか粗略。出展:忘れた。)

えーっと。
つまりこの法師は、強い意志で死ぬことを決意したにもかかわらず、何度も合図を送ってしまったわけです。
それはつまり、頭で考えていることを肉体が拒否して、そして結局肉体が頭を征服して、「やっぱり死にたくない。」とか思っちゃったから、紐を引いてしまっちゃったということです。
これを、文明人たちの感じ方だと、「人間の意志の力が負けた。」ということになるんですが、
本当は違いますよね。
死のうとする意志も、死にたくないと思う身体も、同じ人間のはずです。


価値観の話に戻ると、
仮に心の価値観、肉体の価値観と呼ぶものが考えられます。(これは本来同じものだと思いますが)
心の価値観は色々です。
クワガタムシが一番大切な人もいれば、アニメキャラが一番の人もいますし、あとお金が一番とか、女性の脚が一番の人とか、ファッションが一番の人もいます。
特定の個人が一番の人も何人かは、いるかもしれません。
しかし、肉体の価値観にはそれほど、バリエーションがありません。
指で数えられます。
食。性。睡眠。あとウィキペディアによると呼吸と排便。つまり生理的欲求のことを言い換えただけなんですが。
しかもその価値観のランキング一番にのっているものはと言うと、ほぼ誰もが同じく
生命。です。
というか他のだって方向的には同じものですから、オンリーワンのナンバーワンってとこでしょう。


というわけですから、肉体も心も含めた自分自身にとって自分の生命の価値はかなり大きいところを占めると言うことがわかるでしょう。
でも実際どれくらいなのかっていう疑問が残ると思います。
クワガタムシと命とどっちが価値が高いんだ?とか思うかもしれませんが、
しかしクワガタムシと比べても人によって違うので、ある人は200匹分になるかもしれませんし他の人は0.7匹分ぐらいになるかもしれません。たいていの人はクワガタムシ無限匹分でしょうけど。
そういう風に比べるのは無意味です。
しかし参考になる数値もあります。


一つ目は、「約7億年」分。
これは生命が生まれてから生物が淘汰を受けてきた年数です。
生物は常に淘汰を受けてきました。
それと同時に生物の意志も淘汰を受けてきたので、淘汰を受けた時間が長いほど生命の価値が大きくなります。
動物は淘汰に勝つために生き残ろうとするのではなくて、生き残ろうとした奴だけが淘汰に勝ったんですが、知ってましたか?


二つ目は「約六十兆個*4」分。
これは人間の細胞の数です。
一つ一つが上の「約7億年」分の意志を持っています。
全部まとまってるんだから一つだろって感じですか?
しかし、多細胞生物の起源って言うのがそもそも、単細胞生物が生き残るために大勢集まって共生を始めた事だっていう話ですから、ばらばらに考えた方がまっとうです。つまり究極的に考えれば多細胞生物は、単細胞生物がいっぱい集まった奴なのです!!
…まあ私だって半分くらいまけてあげないこともないですが。


と言うような感じで、
人間の生命の価値っていうものがわかりました。
数値にして
「約7億年」かける、約「約六十兆個」です。
わかりましたか?実はこれ、すごい発見です!
なんと生命の価値の「単位」は、(年・細胞数)だったことがわかったんです。
こんなこと考えるの私くらいだから、多分私の発明です。誰かなんかくれないかな(金銭)。
計算は面倒なので省略。

ついでに、なぜ人を殺してはいけないか

人間は頭がいいので、他人に感情移入するでしょう?
すると上記の命の価値が他人にも一部適用されてしまって、他人の命の価値というものが大きくなってしまうからです。
終わり。




ですが、簡単過ぎるので、どれくらい感情移入すれば適用されるのかを説明します。


大体、ですが、
「相手が人間だと認識する。」
程度の感情移入ならば適用されるでしょう。
「それは無いだろ」
とか思ったかもしれません。勿論これで納得していただいたほうが結構ですが、
納得しなかった人のために説明すると、


それで十分です。なぜなら、もともとの自分の命の価値が大きすぎるからです。
<「約7億年」かける、約「約六十兆個」>(年・細胞数)
ですから、
例えば、小学校の担任の先生への
「じっさい俺らみたいなのの相手して、先生もうんざりだろうな。」
という感情移入度が<1.0>として、
例えあなたが一番感情移入していない人、の感情移入度が
<0.00000001>だとしても、


<「約7億年」かける、約「約六十兆個」>かける<0.00000001>
いこーる<四百二十兆>(年・細胞数・感情移入度)


というわけでなんと<四百二十兆>ですよ。
これは物凄い数です。
というわけで私たちが人間と認識するくらいの範囲よりも広いくらいに入る人は、殺してはいけないと言うことがわかっていただけたでしょう。


これはつまり、最近流行の

無限小×無限=Something
ウェブ進化論より)

の世界です。
Somethingが他人の命の価値を示します。

パワフルにまとめ

まとめる。
命が大切なのは、肉体も心も含めた、全ての人一人一人の、自分自身にとって、命がめちゃくちゃ大切だからだ!自分の価値観ランキングで常に超上位に表示されるから。

これに反論しようとしても無駄。だって私の言う自分自身は無意識とか反射神経とか筋肉細胞とかすべて合わせた「自分自身」だから。所詮表層意識のお前らが何いっても無駄ムダ無駄。
「めちゃくちゃ大切さ」は、なんとあのダーウィン様と分子生物学の保障付き!


死んだ法師は「仏を思う心」の価値が「ダーウィン分子生物学」に7回目で勝ったわけだけれども、
「一勝、0引き分け、六敗」なんて実際超ボロ負け。
あのサッカー日本代表のほうがましなくらいだから、全然駄目。むり。


「まぐれって言われても仕方無いよねー」「そうだよねーキャハハ」って感じ。




あと「人を殺してはいけない理由」
は、人を人と思うくらいの感情移入は、全ての人に対してしているから。まる。
それだけ。
「ああだから白人どもは・・・。」
と思った人たぶん正解。

最後

えー論理的といいながら、
<ついでに、なぜ人を殺してはいけないか>
の数の話のところがやたらと非論理的ですが、
そこは、あくまでイメージと言うことです。大きさがわかっていただければいいやもう、と思います。


あと最後マッドになったのはインソムニアハイ*5ですたぶん。
失礼だったら失礼しました。勿論反論していただいて結構です。むしろもし反論していただける事が出来るならば、非常に嬉しいくらいです。
あと意志だとか価値観だとか言うのは大体同じ意味でつかってます。


だんだん私自身の中の睡眠の価値観の割合が大きくなってきたのでもうそろそろ眠ることにします。
おわり。



*6一応リンクはっておきます
倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「… - 人力検索はてな
というかこれではラフすぎる気がするのでまた今度書き直します。

*1:7.20追加

*2:実を言うと正確には何度か忘れた。ので思い出したら直します。

*3:多分このあと「紫の雲がたなびき、雲の間から五色の光が射してきて…。見たいな感じ。

*4:個人差とか多そうですが。

*5:ナチュラルハイと同じ意味だと思います。

*6:7.17以下追加