駄文

「駄文」のことを、読者の批判的姿勢から逃げ出すための卑怯な方便に過ぎない、と考えていた私だったが、最近「駄文」自体がジャンルとしてありえるのではないかと思えてきた。(いまさらだ。)
オフラインで言えば東海寺さだおが良い例である。


そういえば椎名誠に「長く素晴らしく憂鬱な一日」という中篇があったが、あれはまさに駄文の傑作とも言うべきものであった。などと思い出してみたりもする。